Written in Japanese. Japanese fonts required to view this site / Game Review & Data Base Site
≫出演者&キャラクター図鑑 ≪Last Up Date : 12/4/2022≫
『スーパーマリオクラブ(スーパーマリオスタジアム、64マリオスタジアム、マリオスクール)』のレギュラー陣、異様な存在感を放ってた出演者、キャラクター達の紹介。順不同。
◇渡辺徹
◇本田理沙
◇加藤紀子
◇内山信二
◇須藤温子
◇一宮里絵
◇こずえ鈴
◇爆笑問題
◇あさりど
◇渡辺浩弐
◇トランセル種市
◇アメリカザリガニ
◇ドンキー吉田
◇山上仁志
◇寺崎啓祐
◇チャンプ丸山
◇山田洋一
◇宮本茂
◇桜井政博
◇デビット伊東
◇有野晋哉
◇バカルディ
◇笑福亭笑瓶
◇グレートチキンパワーズ
◇栩原楽人
◇平野綾
◇大森章督
◇石川英郎
◇新堀奈夕
◇ペンギンくん
◇なぞなぞ仮面
◇なぞなぞ大魔王
◇ハイパーゲーマー
◇バンジョー
◇M君
◇及川名人
◇ニャンニャンヘイヘイチーム
◇強大チーム
◇徹さんファンクラブチーム
≫トップに戻る≪
◆渡辺徹(わたなべ とおる)

『スーパーマリオクラブ』から『マリオスクール』の全シリーズに出演した総合司会。俳優、タレント。文学座所属。1980年、名作ドラマ『太陽にほえろ!』のラガー刑事(竹本淳二)役でデビューし、人気を博す。後に『気になるあいつ』、『春風一番!』などのドラマに出演。更に歌手としてもレコードを出し、アイドル的な活躍もした。
1982年にはゴールデンアロー賞放送新人賞、1984年にはエランドール新人賞、2001年には菊田一夫演劇賞を受賞。
また、司会として『料理天国』、『いつでも笑みを!』と言った番組にも出演。『スーパーマリオクラブ』シリーズもそのひとつで、存在感を出す独自の司会術を持っており、その能力は高く評価されている。
『スーパーマリオクラブ』シリーズ後も文学座の舞台での出演、NHK教育の『地球ドラマチック』のナレーター、毎日放送『水野真紀のMaki's魔法のレストラン』のレギュラーメンバーなどで活躍中。司会業も、NHK-BS2の『あなたの街で夢コンサート』で継続中。相変わらずのキレのある司会術を披露している。また、時々『ダウンタウンDX』にてゲスト出演している。
ちなみに奥さんは歌手兼女優の榊原郁恵。2男の父で、長男の渡辺裕太は俳優・タレントとしても活躍している。
また、マヨラー(マヨネーズ好き)としても有名だったりする。
2010年12月25日に放送された『復活!スーパーマリオクラブ』でも司会を担当。当時と変わらぬキレのある実況と的確なツッコミを見せ、クイズバトルを大いに盛り上げた。また『パネルクイズ』の『?パネル』の問題で、『スーパーマリオスタジアム』時代に収録の休憩中、三個の弁当を平らげていたというエピソードが暴露された。
さらに2014年には『大乱闘スマッシュブラザーズ for ニンテンドー3DS 2on2プレミアムファイト』の決勝戦イベントでも総合司会を務め、その模様はニコニコ生放送にて中継された。(当時の報道記事

2022年11月28日、敗血症により逝去。享年61歳。
『スーパーマリオクラブ』シリーズ放送当時、30代の頃に急性糖尿病を患い、以降も闘病しつつ俳優活動を続けていた。

↑インデックスへ
◆本田理沙(ほんだ りさ)

『スーパーマリオクラブ』の初期の副司会を担当。
歌手、タレント。1988年7月1日にCBSソニー「Lesson2」でデビュー。後にテレビドラマにも出演したり、セミヌードの写真集を多数販売するなど、精力的に活躍した。
1997年に結婚し、歌手とタレントを引退。その後、離婚してしまうが2002年に再婚し、二児の母となる。それから6年後の2008年5月、週刊『FLASH』にグラビアにて復帰した。

↑インデックスへ
◆加藤紀子(かとう のりこ)

『スーパーマリオクラブ』後期、『64マリオスタジアム』の中期まで副司会を担当。副司会の中では最も長い期間に渡って担当したこともあり、2010年12月25日放送の『復活!スーパーマリオクラブ』でも同ポジションを務めた。
女優、タレント、歌手。アイドルグループ『桜っ子クラブさくら組』の一員としてデビュー。その頃から『スーパーマリオクラブ』など、一部の番組に限って出演していた。1994年から活動範囲を広げ、かの伝説的なクイズ番組『マジカル頭脳パワー!』や『ガラスの靴』、『凄絶!嫁姑戦争 羅刹の家』と言ったドラマなどにも出演し、知名度を高めた。
1999年からフランス語留学をし、芸能活動を休業。但し、『マジカル頭脳パワー!!』の復活スペシャル出演の為、2001年に一時的に帰国し、かれこれ2年ぶりにテレビ出演した。その後、2002年春に留学を終え、芸能界に復帰した。
2010年以降は当時よりもバラエティ番組、ドラマ番組への出演は減少。
しかし、ワイドショー番組でコメンテーターを務めるなど、今なお精力的に活動している。

↑インデックスへ
◆内山信二(うちやま しんじ)

『64マリオスタジアム』初期の副司会。お笑いタレント、俳優。子役として芸能界デビューし、『あっぱれさんま大先生』で人気を博した。ちなみに『スーパーマリオスタジアム』にもゲストとして出演。『64マリオスタジアム』で晴れてレギュラーとなったが、当時15歳(中学三年生)で受験と重なった為、途中降板した。その後、1997年3月頃の放送でゲストとして番組内に復帰している。
番組出演以降は伊集院光、石塚英彦、松村邦洋に連なる、「デブタレ四天王」の一人と呼ばれるほどの有名タレントに成長した。俳優としても『ごくせん』シリーズや『ヤスコとケンジ』、『必殺仕事人2009』などに出演。活躍の場を広げている。
ちなみに局は違うが、TBSの『しあわせ家族計画』に挑戦者として家族と一緒に出演。
何と、『マリオカート64』の宿題に家族揃って挑戦した。

↑インデックスへ
◆須藤温子(すどうあつこ)

『64マリオスタジアム』中期以降から副司会を担当。女優。1997年に第7回全日本国民的美少女コンテストでグランプリを受賞。その後、芸能界入りした。1999年には歌手としてもデビューし、それが『64マリオスタジアム』のエンディングテーマとなったが、シングルは2枚で終え、以降は女優業を中心とした。
『64マリオスタジアム』以降も俳優業を継続中。舞台を中心としつつ、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』や『ドリアン・グレイの肖像』といった作品出演。テレビドラマには2時間特番などを中心に出演している。

↑インデックスへ
◆一宮里絵(いちみや りえ)

『64マリオスタジアム』中期以降から1999年3月まで、須藤温子と共に副司会を担当。俳優で、テレビドラマ『未成年』、『銀狼怪奇ファイル』などに出演。また『王様のブランチ』、『世界・ふしぎ発見』にもナビゲーターとして出演した。
『64マリオスタジアム』以降の活動はほとんど確認されておらず、シリーズの副司会の中で、唯一の動向不明者となっている。2003年までホリプロに所属していたようだが、その後の動向は完全に途絶えてしまっている。
引退したとの説もあるものの、そのことを裏付ける情報は確認されていない。

↑インデックスへ
◆こずえ鈴(こずえ りん)

『マリオスクール』の副司会。
タレント。1990年代後半、バラドル(バラエティーアイドル)を目指してオーディションを受け、芸能界入りした。『チェキラ!』、『ウチくる!?』、『music-enta』などに出演。2001年に結成したパンクバンド「GRIZZLY」ではボーカルを務めた。
2004年から2年間、芸能生活を休業。
2006年7月から、名前を『フリーディア』と改めて再開したが、その後に第一線を退いた模様。

↑インデックスへ
◆爆笑問題(ばくしょうもんだい)

田中裕二&太田光のお笑いコンビ。まだ売れてない若かりし頃、『スーパーマリオスタジアム』で『デカコンバトル』のメインバトラーとして活躍。その後、サテラビューで放送された『ワリオの森 爆笑バージョン』の対戦企画でもメインバトラーを務めた。
なお、『ワリオの森』バトル担当は太田光。田中裕二は進行役に徹していた。
デカコンは基本的に二人共同。
2010年12月25日放送の『復活!スーパーマリオクラブ』でVTR出演。『スーパーマリオスタジアム』以来、実に15年ぶりの出演となった。『デカコンバトル』の映像も流れ、背中に大型スーパーファミコンコントローラを背負う二人の姿がお披露目された。更に「またデカコンバトルの企画をやりたい」と、レギュラー復活への意欲を見せた。

↑インデックスへ
◆あさりど

堀口文宏&川本成のお笑いコンビ。萩本欽一が主催する欽ちゃん劇団の一期生にして、『笑っていいとも!』の9代目いいとも青年隊。『64マリオスタジアム』のチャンプ丸山初登場の回にてゲスト出演した後、後期から『大乱闘スマッシュブラザーズ』の対戦企画『出張!大乱闘スマッシュブラザーズ』のコーナー担当(レギュラー)となった。その企画にて主に小中学生の間にその名が知れ渡り、一躍人気者に。また、その企画の恩恵で1999年のスペースワールドにおいては、大会の解説者としても活躍。後にディレクターの桜井政博との対談も果たした。
後の『マリオスクール』、『Mr.マリック魔法の時間』にも出演。他に地方、NHK Eテレの番組において精力的に活動している。ちなみに川本は『テニスの王子様』の河村隆役以降、声優としても活躍している。
2010年12月25日放送の『復活!スーパーマリオクラブ』にもVTR企画のパートで出演。TKOとの『Wii Party』対決(※パネルクイズ)、そして『復活!場外大乱闘!スマッシュブラザーズ』の企画で南海キャンディーズの山里亮太と対決した。出張スマブラでは山里亮太を華麗に打ち負かし、当時よりも強くなったことを見せ付けた。しかし、その後、山里亮太の刺客として現れた及川名人にコテンパンにされるに至った。

↑インデックスへ
◆渡辺浩弐(わたなべ こうじ)

ゲーム・映像ソフト制作会社『GTV』代表取締役。『スーパーマリオスタジアム』のE3特集、スペースワールド特集などで出演。各コーナーのコメンテーターを務めていた。更に『64マリオスタジアム』の初期には「なぞなぞ仮面」と名乗り、問題主題者としても出演した(但しVTR出演)。番組スタッフの一人でもある。
また、同じテレビ東京にて、1989年から1992年の3年間放送されていた『大竹まことのただいま!PCランド』にもレギュラーとして出演。ブーメランで肋骨を折ったり、中国拳法でも骨を折ったりと、散々な目に遭っていた。
そんな過去とは異なり、このシリーズでの氏の扱いはまともであった。
(なぞなぞ仮面としての出演は黒歴史かもしれないが…)
2009年現在も執筆活動のみならず、GTV代表としてあらゆるデジタルメディアのクリエイターとして活動中。早稲田大学大学院非常勤講師も勤めている。また、ニコニコ動画内の『ニコニコチャンネルGTV』にも出演。ドンキー吉田ことジャンクハンター吉田氏と共演している。ちなみにジャンクハンター吉田氏が、『64マリオスタジアム』から後の『マジック王国』まで、スタッフとして参加するきっかけを作った人物でもある。

↑インデックスへ
◆トランセル種市(とらんせるたねいち)

徳間書店『ファミリーコンピュータMagazine(ファミマガ)』の編集者。
本名、種市 真澄(たねいち ますみ)。
『64マリオスタジアム』後期から行われるようになった、ポケモン通信対戦コーナー『ポケモンリーグ』の解説を務めた。ちなみに、解説者に選ばれたのは「お前がやれ」という編集長からの鶴の一声だったとか。番組終了後もポケモン大会のコメンテーターを務め、当時の小学生を中心とするユーザーからは「ポケモン解説のお兄さん」とまで呼ばれた。
2002年から『ニンテンドードリーム』の編集者に。そちらでもポケモン関連の記事を担当し、攻略本などでもその存在感をアピールしていた。2005年に所属していた編集プロダクションを退社。以降の動向は不明。

↑インデックスへ
◆アメリカザリガニ(あめりかざりがに)

柳原哲也、平井善之のお笑いコンビ。『爆笑オンエアバトル』で16回挑戦し、16回のオンエアを獲得、M-1グランプリで決勝進出率100%などの記録を持つ、実力派。
『マリオスクール』後期に行われた、『ポケモンリーグ日本一決定戦』にて実況兼ナレーターを担当。持ち味であるハイテンションな掛け合いで場を盛り上げた。
コンビ揃ってゲーム好き、アニメ好きであり、ファミ通のインターネット番組『ファミ通ギャオス』に出演したり、『ボンバーマンジェッターズ』、『夏目友人帳』、『獣の奏者 エリン』等のアニメで声優として出演するなど、幅広く活躍している。

↑インデックスへ
◆ドンキー吉田(どんきーよしだ)

『マリオスクール』のゲームを教えるお兄さん。本来の名はジャンクハンター吉田。
『64マリオスタジアム』の後期からなぞなぞ仮面…もとい、GTV代表の渡邊浩弐氏の紹介がきっかけで番組スタッフとして参加し、後の『マリオスクール』でもスタッフ、更にドンキー吉田の名でレギュラーとしても出演し、活躍した。『マリオスクール』の後番組である、『マジック王国』にも番組スタッフとして参加している。
本職はプロレスラー兼ゲーム・映画コラムニスト(ジャーナリスト)。プロレスラーは2002年の男色ディーノのデビュー戦を務めた後、休業している。2009年現在は有限会社クルーズ代表取締役、マーズシックスティーン取締役、自社媒体のエンタジャムなど、ゲーム業界、映画業界、出版業界を主軸にし、各社でコンサルティングやスーパーバイザー、ジャーナリストとして活動中。
ゲームラボやエンタジャム、4Gamers.netなどの雑誌・WEBサイトで連載を持つ。
また、ニコニコ動画の『ニコニコチャンネルGTV』ではレギュラーとして出演。GTV代表である、渡邊浩弐と共演している。>参考動画(※リンク先の動画では、お二人の現在の姿も拝めます。)

↑インデックスへ
◆山上仁志(やまがみ ひとし)

任天堂開発一部所属のプログラマー。かの名作アクションパズルゲーム『パネルでポン』の生みの親。『スーパーマリオスタジアム』で1995年7月頃に放送された『バーチャルボーイ』特集でプレゼンターとして番組初出演。明るくハキハキした声でその魅力を熱く語る様で好評を博したのか、後に任天堂社員ながら準レギュラーに昇格。以降『ドクターマリオ』、『ヨッシーのクッキー』のスーパーテクニック紹介、『パネルでポン』のチャンピオン大会、『スーパードンキーコング3』&『ドンキーコングランド』、『ゲームボーイギャラリー』、『カービィのきらきらきっず』のプレゼンターと、あちこちのコーナー(64マリオスタジアムも含む)に出演。ある意味、番組内では後に登場する宮本茂以上に露出が多かった任天堂の人である。
2009年現在は企画開発部のプロデューサーとして、『ポケットモンスター』シリーズ、『ファイアーエムブレム』シリーズ、プラチナゲームズ開発タイトル全般といった外注作品を手掛けている。
ちなみに渡辺徹曰く、カメラのアップが苦手。実際、近寄った際に声を詰まらせた。
また、『マリオスクール』の終了から数年後、『週刊!ポケモン情報局』で久々にテレビに出演したのだが、久々故にか、ガチガチに緊張していた。更に氏の性格も、当時よりも暗くなっていた。あの頃の明るさは何処へ。

↑インデックスへ
◆寺崎啓祐(てらさき けいすけ)

『スーパーマリオスタジアム』の1995年のスペースワールド特集にて初登場。
任天堂開発一部所属のデザイナー兼当時のファイアーエムブレムシリーズの責任者。
『ファイアーエムブレム 光を継ぐもの』(後の『ファイアーエムブレム 聖戦の系譜』)のプレゼンターとして出演し、その際にリポーターとして出演していた穴井夕子&佐竹雅昭に向け、ゲーム内容の解説を行った。
しかしその後、メインスタジオでその模様を見ていた渡辺徹に「林家こぶ平さん(現:林家正蔵)」と呼ばれてしまい、結果として会場とリポーターの爆笑を誘ってしまった。当人はその発言には苦笑いしつつも、多少ながら赤面していた。
2009年現在は企画開発本部に所属し、『突撃!!ファミコンウォーズ』や『大乱闘スマッシュブラザーズX』と言った海外作品、外注作品のプロデューサーとして活躍している。勿論、今もこぶ平さん(林家正蔵)のままである。

↑インデックスへ
◆チャンプ丸山(ちゃんぷまるやま)

任天堂のデバック部隊『スーパーマリオクラブ』の一員とされる人物。本名不明。『64マリオスタジアム』放送初期に出演し、『スーパーマリオ64』でスーパーテクニックを披露。その後の『マリオカート64』のタイムアタックキャンペーンでも活躍した。また小学館の『マリオカート64』の任天堂公式ガイドブックには、彼のコーナーが掲載されている。
『64マリオスタジアム』出演後の動向は不明。当時、番組に参加されていたスタッフによれば、関係者の間でもどうなったかは分からないとのこと。ゲーム絡みの仕事に就いたのか、それとも……?

↑インデックスへ
◆山田洋一(やまだ よういち)

任天堂情報開発部所属のデザイナー。『スターフォックス』や『ワイルドトラックス』など、任天堂におけるポリゴン研究の一人者。『スーパーマリオスタジアム』後期、『スーパーマリオ64』特集にプレゼンターとして出演。非常に陽気な性格で、当時出演していたゲスト、デビット伊東と意気投合していた。しかし、バッタンキングの紹介のデモプレイにて大失態を晒してしまい、デビット伊東から呼び捨てで罵倒され、コントローラを強奪された。そして、その失態は番組の伝説的エピソードの一つとなってしまったのだった…。(ちなみにこの失敗後、氏は完全に落ち込んでしまっていた…)
『スーパーマリオ64』の開発参加以降はゼルダシリーズを中心に補佐として活躍。開発からは一線を退いている。

↑インデックスへ
◆宮本茂(みやもと しげる)

言わずと知れたマリオ生みの親にして、世界的に有名な任天堂所属のゲームクリエイター。
NINTENDO64の番組初登場回となる、『スーパーマリオスタジアム』のスペースワールド特集で出演。『スーパーマリオ64』のデモプレイを行ったほか、問題出題者として活躍した。ちなみに問題は三択で、ロクヨンコントローラのスティックの名称は何でしょう、というもの。選択肢は「アナログスティック、野菜スティック、3Dスティック」だった。
後に『ゼルダの伝説 時のオカリナ』が発売された1998年、『64マリオスタジアム』にも出演し(※任天堂社内でのロケ)、渡辺徹と対談した。その際、次回作として『マリオアーティスト』シリーズの名を挙げていた。

↑インデックスへ
◆桜井政博(さくらい まさひろ)

カービィ生みの親にして、スマブラ生みの親としても有名なゲームデザイナー。有限会社ソラ代表。
『64マリオスタジアム』の最終回で行われた、スマブラ大会にてスペシャルゲストとして出演。これが氏の現時点で、最初で最後のテレビ出演となっている。何故かこの出演時、バンダナを頭に巻いていた。その姿が女性視聴者のハートを捉えたのか、後に『ニンテンドードリーム』の読者投稿において、そのイラストが掲載された。
ちなみに、バンダナを巻いた姿もこの出演が最初で最後である。さすがに今となっては、この姿を拝むのは絶望的と言っても良いだろう。ジョジョ立ちなら可能だが。ビデオ録画していた貴方、後生大事にしましょう。

↑インデックスへ
◆デビット伊東(でびっといとう)

『スーパーマリオスタジアム』にて、度々ゲスト出演していた人。
俳優、タレント、実業家。本名、伊藤 努(いとう つとむ)。
出演時は異様にハイテンションで、カメラに攻め寄ったりなどのパフォーマンスを度々披露。また『スーパーマリオ64』特集では、プレゼンターとして出演した任天堂の山田洋一がヘマを犯した際、苗字の呼び捨てで罵倒した後、コントローラを強奪して自分が挑戦し、結果的に失敗するという伝説を作った。ちなみに当人の失敗は、落下ダメージを喰らうという散々たるものだった。ある意味、山田洋一氏以上に酷かったかもしれない。
番組出演当時から、タレントとしてでなく、俳優としても活動。特に悪役を演じた際には、恐怖を感じさせるほどの圧倒的な演技力をお披露目する。また、実業家兼ラーメン店主として『でびっと』の経営もこなしている。かつてのハイテンションっぷりは影を潜めたが、サービス精神旺盛な人柄とノリのよさは変わっていない。

↑インデックスへ
◆有野晋哉(ありのしんや)

お笑いタレント。お笑いコンビ『よゐこ』のボケ担当。
『スーパーマリオスタジアム』の1995年上半期、よゐことして相方の濱口優と共にゲスト出演。スターチャレンジのコーナーにおいて、『スーパードンキーコング』の『マインカートコースター』攻略に挑戦した。しかし、開始早々、コースのスタート地点近くにあるタル大砲を飛び越え、ミスするという大失態を犯し、コーナー開始史上初のスタート地点で失敗という記録を作った。ただ、あまりに不憫だったのと尺の都合でこれは無効。後の再プレイではゴールまでとは行かなかったものの、中盤超えのそこそこの記録を残した。後にも先にも、スタート地点でミスったのは彼だけである。
2010年現在もよゐことして、『めちゃ×2イケてるッ!』、『いきなり!黄金伝説』等のバラエティ番組に出演中。
また、フジテレビCS放送、フジテレビTWOにて放送中のゲームバラエティ番組『ゲームセンターCX』でMCを務め、『有野課長』の呼び名でゲーマーのみならず、子供や大人まで幅広い視聴者層から絶大な支持を得ている。
その他、アイドル専門家として学研発行のアイドル雑誌『BOMB』に連載を持ったり、私生活でも2005年3月1日に結婚、後に二人の娘の父親になる等、絶好調である。
ちなみに『スーパーマリオスタジアム』にて苦い思い出を残した『スーパードンキーコング』だが、後に『ゲームセンターCX』のシーズン10第6回放送(#75)にて再チャレンジしている。当人もスーパーマリオスタジアムでチャレンジ(出演)した事は忘れてしまったようだが、「やった覚えあるんですよね」とコメントしているなお、その挑戦でも例によって、マインカートコースターに大苦戦。更にはまさかの延長戦となるという、新たな伝説まで作ってしまった。歴史は進化する…と言ったところか。

↑インデックスへ
◆バカルディ(ばかるでぃ)

現さまぁ~ず。大竹一樹&三村マサカズのお笑いコンビ。
『スーパーマリオスタジアム』の『ヨッシーアイランド』が特集された回にて初めてゲスト出演。しかも知人の結婚式の帰りに番組出演するという、ある種の伝説を作った。
勿論、二人は正装(スーツ)の上、縁起物の紙袋を持った状態だった。
その後、番組後期にも出演するが、『X-BAND』による通信対戦企画の都合で今度は三村だけがスタジオ、大竹はテレビ東京屋上というまたも珍妙な形となった。
ある意味、番組に出演したゲストの中で、最もまともな出演をしなかったゲストである。

↑インデックスへ
◆笑福亭笑瓶(しょうふくてい しょうへい)

落語家、お笑いタレント。
黄色いプラスチックフレームの眼鏡がトレードマークのおじさん。
『スーパーマリオスタジアム』において頻繁にゲストとして出演。
二回目以降の出演にて、渡辺徹から『ディディー(スーパードンキーコングのドンキーの相棒)』と名付けられ、下の名前テロップまで『ディディー』にされる珍事が起きた。
皆様も今日からディディーと呼ぼう。

↑インデックスへ
◆グレートチキンパワーズ(ぐれーとちきんぱわーず)

北原雅樹&渡辺慶のお笑いコンビ。『64マリオスタジアム』の後期にて、『マリオパーティ』対決企画、『大乱闘スマッシュブラザーズ』対決企画にて対戦相手としてゲスト出演した。
というよりも、どちらの企画も複数回に渡って出てたので、実質レギュラー同然である。番組内では両者共に常にハイテンションであり、対戦相手である渡辺徹&須藤温子のコンビを圧倒していた。またある回において敗北した際、北原が視聴者に自分用の『ゼルダの伝説 時のオカリナ』をプレゼントするという太っ腹なサービスをした。
『64マリオスタジアム』以降の『マリオスクール』では未出演。そして、それから数年後の2005年9月、コンビ解散となった。原因は『爆笑オンエアバトル』出場時、100人の観客から一票も投じられない結果を記録したことにあったらしい。そもそも、『64マリオスタジアム』に出演していた当時から、お笑いコンビとしての能力は疑われていた。
解散後は北原は俳優として、渡辺は脚本家・小説家として活動している。

↑インデックスへ
◆栩原楽人(とちはら らくと)

『マリオスクール』の生徒、『マリオバディ』の一人。バディとしての呼び名は『ラクト』。
『仮面ライダー響鬼』の安達明日夢にして、俳優である。放送当時は『ママまっしぐら!』などの昼ドラに子役として出演。『マリオスクール』もそのひとつだった。
『マリオスクール』以降も俳優として活動するほか、ニンテンドーDSの『サイキン恋シテル?』などのゲームにも出演していた。
2018年3月、父親の会社を引き継ぐ関係で芸能界を引退。

↑インデックスへ
◆平野綾(ひらの あや)

『マリオスクール』の生徒、『マリオバディ』の一人。
バディとしての呼び名は『アヤ』。
言わずと知れた、アニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』の涼宮ハルヒ役で有名な女性声優である。放送当時はまだ声優ではなく、子役だった。声優としてデビューするのは『マリオスクール』の終了から半年以上後の2001年10月、WOWOWノンスクランブル枠にて放送されたアニメ『おとぎストーリー 天使のしっぽ』からである。
『マリオスクール』以降はアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』でのブレイクもあり、人気声優に成長。多くの作品でヒロイン役を務めている。
更に2010年12月25日放送の『復活!スーパーマリオクラブ』でVTR出演。『マリオバディ』の中では唯一の出演となった。この出演で初めて、彼女が『マリオスクール』の元レギュラーであった事を知った方は多いと思われる。

↑インデックスへ
◆大森章督(おおもり あきまさ)

『スーパーマリオクラブ』後期から『64マリオスタジアム』中期までのナレーター。『スーパーマリオスタジアム』では『スーパーボンバーマン4』の特集回などでお休みした。
ゲームの種類に応じ、ハイテンションになったりシリアスになったりする語り口が特徴。
元々は声優。しかしアニメの出演は少なく、どちらかと言うとバラエティ番組のナレーターとしてのキャリアが長い。代表的な番組として『ダウトをさがせ!』、『特命リサーチ200X』、『世界とんでもヒストリー』など。またドラマだが、『特命係長・只野仁』シリーズのオープニングナレーションもこの人である。
何気にナレーターを務めた期間は加藤紀子と一緒。しかも、加藤紀子がまだ『桜っ子クラブさくら組』の一員だった頃に出演していた番組、『桜っ子クラブ』でもナレーターをしていた。そういう意味では、加藤紀子の影の相棒とも言える。
『スーパーマリオクラブ』以降も『さんまのまんま』などでナレーターとして活躍中。また、TBS『オールスター赤面申告ハプニング大賞』で2008年春まで、渡辺徹との付き合い(?)も続いた。
ハイテンションになったり、シリアスになったりする、独自の語り口も当時のままだ。

↑インデックスへ
◆石川英郎(いしかわ ひでお)

『マリオスクール』のお兄さんナレーター。
声優。『ファイナルファンタジーX』のアーロン役、『NARUTO -ナルト- 疾風伝』のうちはイタチ役などで知られる。
『マリオスクール』の後番組たる『マジック王国』でもナレーターを兼任した。
ハイパーゲーマーのマッスル、オゾンの中の人疑惑があるが、詳細は不明である。
『マリオスクール』以降もアニメ、バラエティ番組などで声優、ナレーターとして活動。声質も当時と変わってない。

↑インデックスへ
◆新堀奈夕(にいぼり なゆ)

『マリオスクール』にて、キャラボイスなるパートを担当していた女性。ギター教室の老舗として一部で有名な、『新堀ギター音楽院』のオーナーのご息女。番組制作スタッフの一人として、度々参加されていた。
ハイパーゲーマーの一人、リセットの中の人と思われるが詳細は不明である。
マリオスクール終了後は歌手としてデビューし、アニメ『Cosmic Baton Girl コメットさん☆』の主題歌を担当した。しかしその後、歌手活動は行わなかった。2010年現在は『新堀ギター音楽院』の先生として、生徒の指導に当たっている模様。

↑インデックスへ
◆ペンギンくん(ぺんぎんくん)

『64マリオスタジアム』初期のコーナー、『内山のファイト一発』第四回、スライダーの回にて登場したゲストキャラクター。モデルは『スーパーマリオ64』のペンギン。内山信二と一緒に『東京マリン』のスライダーにチャレンジし、タイムアタック争いをした。しかし、内山信二に蹴飛ばされたり、大型スライダー『カミカゼ』最初の犠牲者(?)になるなど、コーナー内の扱いは相当酷かった。合掌。


「身体を張った結果がこれだぜ…。」

↑インデックスへ
◆なぞなぞ仮面(なぞなぞかめん)

『64マリオスタジアム』初期、『突撃!なぞなぞ仮面』の出題者として登場した、渡邊浩弐扮する謎の男。『月光仮面』のテーマ曲『月光仮面は誰でしょう』のイントロと共に出現するが(※但し、第一回目の時は別の曲だった)、その姿は何処かの似非マジシャンそのものである。
その名の通り、なぞなぞを中心に出題。しかし、問題が散々だった(しかも、記念すべき第一回では加藤紀子の致命的ミスによって答えがバラされてしまった)故にか、なぞなぞ大魔王の降臨を招いた。また、第二回では「な~ぞなっぞ、なっぞなっぞ~♪」と妙な歌と共に登場したが、ウケが悪かったのか、以降は普通に登場するようになった。


釣堀、ラーメン屋、喫茶店などに潜伏していた。
(写真は第一回放送の釣堀)

↑インデックスへ
◆なぞなぞ大魔王(なぞなぞだいまおう)

なぞなぞ仮面の大ボス。CV:若本規夫
散々な問題ばかりを出題するなぞなぞ仮面にぶち切れ、番組内に降臨。『クイズ!なぞなぞ大魔王』なる新コーナーを無理矢理立ち上げ、なぞなぞ仮面の後を継いだ。
しかし、出題する問題は、なぞなぞ仮面以上にしょぼいものばかりで、難易度が高くなった訳ではなかった。結局、部下より弱い大ボスという醜態を晒したのだった。そしてその後、コーナーもろとも消滅した。ぶるあああああ。
ちなみに初登場時、加藤紀子はその声を聞いて「若本さんですかね?」と、渡辺徹に対して質問した。
はい、その通りです。というか、何故知ってる。

↑インデックスへ
◆ハイパーゲーマー(はいぱーげーまー)

『マリオスクール』のゲーム対戦企画『マリオ道場』にて登場したCGキャラクター。
赤い悪魔風キャラクターのマッスル、紅一点にしてアイドル志望のリセット、サングラスをかけたSF風キャラクターのオゾン、三人の呼称。企画では、これらのキャラが小中学生の挑戦者とゲームで対戦するという設定。最強はオゾンで、最も負けが少なく、その事から途中で黄金の身体にメタモルフォーゼした。
後期からは番組のイメージキャラクターに転身。
対戦は行わなくなり、挑戦者達の応援役として活躍した。
念の為だが、中の人はいない。
出演した挑戦者達は、本当に彼らと戦ってたのだ。戦っていたのです。信じるものは救われる。

↑インデックスへ
◆バンジョー(ばんじょー)

『バンジョーとカズーイの大冒険』の特集にて、任天堂広報部の上月亜沙子(現:春花亜沙子)と一緒にプレゼンターとして出演。それ以外にもトランセル種市を訪ねてファミマガ編集部に訪れたりなど、個人で色々な所を巡っていた。
ちなみにプレゼンターながら、終始無口(ある意味、当然だが)。ゲームの紹介や魅力などは全て、隣の上月亜沙子にまかせっきりで、当人は完全に空気と化していた。
最後の回では満を持して視聴者宛にメッセージを送るのだが、ジェスチャーだった為、渡辺徹に強制中断させられてしまった。ある意味、番組で登場したプレゼンターの中では最も不遇なキャラだった…かもしれない。


新木場駅にやって参りました。

↑インデックスへ
◆M君(えむくん)

『スーパーマリオクラブ』の『スーパーマリオバトル』にて出演した挑戦者の一人。当時中学二年生。他の出演した挑戦者を食う、ハイテンションなリアクションで渡辺徹&本田理沙のみならず、視聴者に爆笑と失笑をもたらした。更にクイズ本編でも序盤に失格の危機に陥るが、その後に積極的に攻め、170点で逆転優勝。番組史に残る伝説まで作ってしまった。あまりに強烈なインパクトを放っていたが故、『バカボン』の問題を解いた後に渡辺徹から「お前がバカ田大学だ!(笑)」と突っ込まれたほど。
ちなみに本人の風貌は、お笑いコンビ・オードリーの春日俊彰氏にソックリ。
念の為だが、若かりし頃の春日氏本人ではない。出身地も春日氏と同じく埼玉県なのだが、市町村が違う。

↑インデックスへ
◆及川名人(おいかわめいじん)

初代スマブラ名人として知られる人物。本名、及川浩一。1999年の任天堂スペースワールドにて開催された公式大会、午前の部で優勝。後に『64マリオスタジアム』内で行われた公式大会に出演し、全国地区予選を勝ち抜いた挑戦者達と対決。最終的に決勝戦で敗北したが、初代名人の凄味を大いに見せ付けた。
対戦時は青いカービィを常用。その事から、青カービィの使い手とも呼ばれてた。 性格的には結構な自信家。しかし、気さくで明るい少年であった。ちなみに出演当時は16歳。
2010年12月25日放送の『復活!スーパーマリオクラブ』の『復活!場外大乱闘!スマッシュブラザーズ』の企画では、山里亮太の刺客としてまさかの出演。あさりどと対決し、名人の威厳を見せつけた。例によって、持ちキャラは青カービィ。当時の対決を知る視聴者にとっては、懐かしさ満点の感動的な光景が繰り広げられたのであった。

また、2014年には『大乱闘スマッシュブラザーズ for ニンテンドー3DS 2on2プレミアムファイト』の決勝戦イベントにも解説として参加した。以降、株式会社ドミトリーム・エンターテインメント所属タレントとして活動中。

↑インデックスへ
◆ニャンニャンヘイヘイチーム(にゃんにゃんへいへいちーむ)

『スーパーマリオスタジアム』のクイズバトルにて出演したチーム。兄と妹のコンビで、チームカラーは紫。積極的に回答し、その時の回では4チームの中で最も高得点を獲得していて首位を独走。優勝候補として名乗りを上げていた。
ところが、クイズバトル中盤の『スーパードンキーコング』の競争対決にて、赤の強大チームと共にイージーミスを大量連発。番組史上前代未聞の長期戦を引き起こしてしまう。そして長時間に渡る戦いの末、三位でゴール。しかし、その長期戦後からそれまでの調子が一気に狂ってしまったのか、最後のゲストチャレンジでも盛大に予想を外すことに。最終的にその回の放送では影に隠れていた、黄色の『ヨッシーチーム』に逆転優勝される(漁夫の利を得る)に至った。
番組に出演した数あるチームの中で、最も悲劇的な顛末を辿ったチーム。先の『スーパーマリオクラブ』のM君とは、ある意味で対照的な存在である。ちなみにイージーミスを連発していた様が表すように、『スーパードンキーコング』をプレイした経験は無く、アクションゲームも苦手であったことが容易に推測される。そんなチームが、同じく『スーパードンキーコング』が苦手なチーム(強大チーム)と競争する事になるとは、全く持ってどういう偶然だろうか。

↑インデックスへ
◆強大チーム(きょうだいちーむ)

『スーパーマリオスタジアム』のクイズバトルにして出演したチーム。その名の通り、兄弟コンビのチーム。チームカラーは赤。優勝候補のニャンニャンヘイヘイチームに回答権をほとんど奪われてた都合により、『スーパードンキーコング』の競争対決以降までは黄色の『ヨッシーチーム』と同様に最下位だった。
しかし、競争対決のスタート位置争奪の早押しクイズの第一問にて、即答して一位通過。ベストポジションを獲得し、突如として優勝候補に名乗りを上げた。しかし、後の対戦本番では、4チームの中で最もベストなポジションからのスタートでありながら、イージーミスを大量連発。結果として、同じくイージーミスを連発していたニャンニャンヘイヘイチームと一緒に番組史上前代未聞の長期戦を引き起こしてしまった。最終的にはニャンニャンヘイヘイチームとは違い、ゴールすらできず最下位。しかも長期戦の最中には、対戦コースを間違える始末で、すべてが終わった後に加藤紀子は優しい口調でそのことを皮肉った。以降も挽回の機会には恵まれず最下位。不甲斐ない結果に終わった。
ニャンニャンヘイヘイチームと同様、『スーパードンキーコング』未経験かつ、アクションゲームが苦手であったと思われる。そもそも、対戦コースを間違えた時点でそれを匂わせていた。そんなチームが同じ境遇のチームと対戦することになるとは、どういう偶然か。また後にも先にも、『スーパードンキーコング』の対戦企画で最良のポジションを得ながら、後続のチームすべてに追い抜かれ、クリアすることもできずに終わってしまったチームは彼らが最初で最後である。

↑インデックスへ
◆徹さんファンクラブチーム(とおるさんふぁんくらぶちーむ)

『スーパーマリオスタジアム』のクイズバトルで、まだディフェンディングチャンピオン制度が残っていた頃に出演したチーム。チームカラーは緑。その名の通り、総合司会である渡辺徹の熱心なファンである友人二人のチーム(※男性)。チーム紹介時には決まって渡辺徹に向かって両手を上げ、「(いっせーの、せ)徹さん!」と呼んでいた。(対し、渡辺徹は「はいよ~♪」と上機嫌に返していた。)そこそこの実力者で、初出演にて見事に優勝し、ディフェンディングチャンピオンとして君臨。殿堂入りを目指す戦いが始まる…と思われた……のだが。その出演から一週間後にて何と、ディフェンディングチャンピオンの制度が廃止。それに巻き込まれる形で、殿堂入りの夢が絶たれてしまうという、あまりに悲惨な末路を歩むハメになってしまった。
しかも翌週、制度廃止でリニューアルが行われた回に出演した時は別のチームが優勝。
まさに、番組リニューアルの渦に巻き込まれた格好である。ご愁傷様です…。

↑インデックスへ
≫トップに戻る≪