筆者が印象に残っているエピソードをピックアップ。
◆死闘:ニャンニャンヘイヘイチームVS強大チーム
ディフェンディングチャンピオン制度廃止後、クイズバトルの競争対決にて起きた、シリーズ史上最大と言っても過言ではない伝説的なハプニング。この当時、競争用のタイトルとして『スーパードンキーコング』が使われ、『ノーティの遺跡』のコースでどのチームが先にゴールできるかを争っていた。
事件が起きた放送回では、『ニャンニャンヘイヘイチーム』と呼ばれる兄と妹のチーム(カラーは紫)が優勝候補として活躍。スタート位置争奪戦の早押しでは、赤の『強大チーム』にベストポジションを取られたが、直に二番目のスタート地点を確保。その後、三番手を緑チーム(名称不明)が確保し、四番手は黄色の『ヨッシーチーム』と強制的に決まった。
この時点で、一位は強大かニャンニャンヘイヘイのどちらかになると、視聴者や会場にいた観客の子供達は予想していたと思われる。ところが結果は、四番手の『ヨッシーチーム』が一位でゴールするという想定外の展開に。というのも、ヨッシーチームより先を走っていた三チームが連続してミスしてしまい、やり直しを喰らっていたのである。ヨッシーチームは四チームの中で唯一、ミスをしなかった為に軽々と一位でクリアとなった。そして更に想定外の展開が発生。二位に三番手からスタートした緑チームがゴール。ヨッシーチームと同様に不利な状況から逆転してしまったのである。それも全ては強大チームとニャンニャンヘイヘイチームが連続してミスし、立ち往生を喰らっていた為。こうして、バトルは強大とニャンニャンヘイヘイの一騎打ちとなった。
しかし、両者共にミスを連発し、一向に対戦が進行せず。しかもミスの大半は、ノーティの石車にぶつかったり穴に落ちたりと言うイージーミスばかりで、その様から彼らが『スーパードンキーコング』未経験者であるというのは明らかだった。
その後もミスが連発し、対戦は全く持って進展せず、耐えかねた番組編集スタッフは、禁断の『早送りボタン』を召還。長期戦になってしまったが故に画面を早送りし、その模様を省略するという異常事態になった。更にその早送りの映像には、両チームがゲームオーバーとなり、最初から始める事になった模様、強大チームが『ノーティの遺跡』ではなくて『クレムリンの洞窟2』を始めるという珍事を起こした瞬間が映っていた。
やがて早送りは通常スピードに戻され、ようやくニャンニャンヘイヘイチームがゴール。強大チームは最後までクリアできずに最下位に終わったのだった。
ある意味、この番組の歴史において最大級の珍事にして伝説である。あまりの長期戦故に司会の渡辺徹、加藤紀子とも終了後は疲れきった表情で、「いつ終わるのかと思ってました」とコメント。また、強大チームが『クレムリンの洞窟2』を始めたの事に対し、加藤紀子は優しい口調で彼らを暗に皮肉った。
この回を見ていた視聴者は多分だが、抱腹絶倒の渦に陥っていただろうと思う。。
ちなみにこの回の優勝は何とヨッシーチーム。優勝候補だったニャンニャンヘイヘイチームは、ここで調子が狂ったのか、その後のゲストチャレンジでもミスをしてしまい、順位を落としてチャンスを無に帰してしまったのだった。合掌。
◆晒し者にされたガイア幻想紀
1994年頃放送。クイズバトルの企画内にて、スーパーファミコンの傑作アクションRPG『ガイア幻想紀』より「空中庭園でボスを撃破した後のデモで、落下していく主人公テムを助けるのは何か?」という二択問題が出題された。
選択肢の内容は「A:ドラゴン、B:飛行機」。
ガイアをプレイ済の人なら、この答えがBというのは即答できると思う。
ところが、その回に出演していた4チーム全員が回答したのは「A」。結果として全員ハズレとなり、ガイア幻想紀が無名ソフトとして晒し者にされるハメになってしまった。
当然ながら、その後にチーム全員が渡辺徹に突っ込まれたのは言うまでも無い。
◆元祖・有野課長
1995年上半期頃放送。2009年現在では、『ゲームセンターCX』の有野課長として、ゲーマーからも支持されている有野晋哉が、お笑いコンビ『よゐこ』として相方の濱口優と共にゲスト出演。
そしてその回のゲストチャレンジ、『スーパードンキーコング』の『マインカートコースター』攻略に有野晋哉が挑戦した。だが、この挑戦にて、スタート地点にあるタル大砲を飛び越えてミスするという失態を犯し、渡辺徹と相方の濱口双方に怒られるという珍事が起きた。
しかも、スタート時点で失敗したタレントはその回が初。
番組に一つの伝説を作ってしまったのだった。。なお、その後は普通にプレイするが、残念ながらクリアには至らなかった。このチャレンジがきっかけで、後に有野課長が誕生するに至った…かどうかは不明である。
ちなみにそれから数十年後、当人は『ゲームセンターCX』のシーズン10第6回放送(#75)で『スーパードンキーコング』に再チャレンジした。例によって、手を焼いていた。。
ここを飛び越えてしまいました。
後のゲームセンターCXの挑戦では、飛び越えずに通過。
◆結婚式後のバカルディとバラバラのバカルディ
1995年8月頃、『スーパーマリオ ヨッシーアイランド』をテーマとしたクイズが出題された回にて、お笑いコンビのバカルディ(現:さまぁ〜ず)が初めてゲスト出演した。
だが、何故かその時の格好は正装(スーツ)で右手に縁起物。二人曰く、「知人の結婚式の帰りにこちらに来た」とのことでその格好だった。言うまでも無く、その後も二人は正装のままで番組に出演。珍妙な出演をしたゲストとして、会場の観客や視聴者に強烈なインパクトを与えたのは言うまでも無い。。
また、二人は番組後期にも出演するが、三村がスタジオ、大竹がテレビ東京の屋上と、またも珍妙な方式だった。これはその回で行われた『X-BAND』による、通信対戦企画の所為である。
だとしても、それもまた、前回と同様に強烈なものだったのは言うまでも無い。
◆ひょっこりと、あのお方登場
1994年、ディフェンディングチャンピオン制度が始まってない初期の頃、スタジオ裏から司会、渡辺徹の奥さんである榊原郁恵がカメラ席側からひょっこり顔を出す一幕があった。これには言うまでも無く、司会の渡辺徹はビックリし、苦笑いした。丁度、テレビ東京で放送されていたバラエティ番組収録の寄り道だったらしい。
ちなみに、榊原郁恵自身がゲストで出ることはなかった。しかし、渡辺徹を弄る為のネタとして、加藤紀子が度々用いていた。これは後の『64マリオスタジアム』においても、である。最も象徴的なのは『64マリオスタジアム』の初期、マリオカート64のタイムトライアル企画にて、ピーチ姫に対して「後から抱きしめてあげたい!」と発言した後に加藤紀子が言った、「郁恵さんに言いつけますよ。」。それを言われた後、渡辺徹は沈黙した。
◆笑福亭笑瓶のニックネームは『ディディー』
『スーパーマリオスタジアム』にて度々出演していたゲストの一人として、お笑いタレント・落語家の笑福亭笑瓶がいた。
その笑福亭笑瓶が3回か4回目のゲスト出演をした回にて、渡辺徹が氏をディディー(スーパードンキーコングのドンキーの相棒)と呼び、更にゲスト紹介でも「ディディーで〜す!」と声高らかに発言。字幕テロップまで「ディディー」と表示された。言うまでも無く、当人はその紹介に激しくツッコミを入れた。。しかし、後にも先にも渡辺徹が放った仇名が字幕テロップで表示されたのは氏の登場回だけ。まさにこれぞ、大物の風格である。
◆山田洋一の失敗
番組後期はNINTENDO64の発売が近づいているというのもあり、積極的にNINTENDO64の『スーパーマリオ64』特集が組まれていた。その特集のある回にて、プレゼンターとして任天堂情報開発部所属(当時)の『スターフォックス』などに携わったデザイナー、山田洋一氏が出演。『スーパーマリオ64』の見所紹介などを持ち前の腕で会場にいた挑戦者、観客に向けてプレゼンした。また、その回には笑福亭笑瓶と同様に度々番組に出演していたデビット伊東がまたゲストで出ており、山田氏と意気投合。コンビを組んでいた。
しかし、その後に氏が『バッタンキングのとりで』のコースのプレゼンにてその関係が崩壊。バッタンキングを紹介しようと、山田氏は戦闘フィールドへと向かったのだが、そこでまさかのイージーミスを仕出かし、真下の池に転落してしまった。すぐさま、氏は復帰しようとしたが、隣にいたデビット伊東がその様を見て氏を苗字で罵倒した挙句、コントローラと面目躍如の機会を強奪されてしまった。言うまでも無く、その後の氏は意気消沈。ほとんど喋らなくなってしまったのだった…。更に山田氏からコントローラを強奪したデビット伊東も、山田氏より更に酷いミスをしてしまう。しかし、それでもしつこく再チャレンジしようと、その様は完全に仕事を忘れたゲーマーそのものであった。結局のところ、誰も成功しなかったのでVTRにてバッタンキングは紹介された。完全に山田氏、出演損である。お疲れ様です。。
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