筆者が印象に残っているエピソードをピックアップ。
◆最強のM君
『スーパーマリオバトル』のとある回にて、M君(当時中学二年生)なる挑戦者が出演。彼はコーナー開始当初から偉くハイテンションで、自己紹介時には下唇で鼻の穴をふさぐという謎の特技を披露。渡辺徹と本田理沙の二人を失笑させた。
そして後のクイズ本編では威勢よく、二問連続早押しで回答するのだが、回答した全問ハズレ。あっという間に失格のピンチに陥ってしまう。だが、その後に脅威の挽回を見せ、チャンスカードを引いて一気にトップに。その後は怒涛の勢いで勝負に出、そのままピンチの状態で170点を獲得。優勝を果たしてしまった。
これだけなら、まだ脅威の逆転劇なのだが、最大の注目点は彼のクイズ中の行動。正解する度に「おっしゃあー!」と絶叫し、ガッツポーズまで披露するだけでなく、渡辺徹の解説時に突っ込みを入れたり、更には勢い余って鼻水を垂らしてしまったりと、他の三人の出演者の存在を喰うかのようなはしゃぎっぷりを見せていた。その様を見た渡辺徹は『バカボン』のクイズの回答した後の彼のリアクションに対し、「お前がバカ田大学だ!(笑)」と突っ込んだほど。
そして、そのはしゃぎっぷりは隣にいた理沙さんも苦笑しっぱなしになり、途中で台詞を噛むトラブルまで起こしてしまった。数ある『スーパーマリオバトル』の出演者の中でも、特に怖いもの知らずだった人物といえるだろう。
その凄まじいインパクトが当時の視聴者を爆笑の渦に陥れたせいか、今なお、他でも伝説として語り継がれているエピソードだ。あまりに衝撃的過ぎた故、Youtubeなどの一部動画サイトにもその模様がアップされているほど。当時を知らぬ方で、興味があったらご覧になってほしい。。なお、リンクはあえてしませんのでご了承の程を。
◆私が司会になる!
番組後期の1993年頃、ゲストチャレンジの企画にて演歌界の大御所にして、「お客様は神様です」の名言でお馴染み、三波春夫がゲストで出演。自身がCMソングを歌った『ヨッシーのクッキー』に挑戦した。しかも挑戦開始前、
「私がランキング一位になったら、番組の司会になる」
と宣言。渡辺徹から総合司会のポジションを奪おうとした。
しかし、肝心の結果は惨敗で、一位にすら届かぬ低記録で終了。
司会の夢は潰えてしまったのだった。。
なお、三波氏は2001年4月11日に前立腺癌により、77歳で逝去。奇しくも、その日は『マリオスクール』が終わってからまだ、2週間も経たぬ頃であった。
◆観客席に隠れゲスト
1992年頃放送。クイズ企画『スーパーマリオバトル』にて、苗字が「田代」という小学生の挑戦者が参加した。その挑戦者の正体は何とタレント、田代まさしの息子だった。
しかも、観客席には息子の晴れ姿をビデオに録画する、田代まさし本人の姿が映っていた。後に渡辺徹にその姿が目撃され、会場が沸き立ったのは言うまでもない。
しかし、2010年現在において、このエピソードは最大のタブーと言えるかもしれない…。
ちなみに未確認情報だが、クワマンこと桑野信義の息子も参加していたらしい。
但し、本人が観客席にいたかどうかは不明。
◆デデデ大王が倒せない!
『ファミコン相談室』にて、1992年頃放送。当時、ゲームボーイで発売された『星のカービィ』のラスボス、デデデ大王が倒せないという質問が殺到。
番組内でその倒し方をレクチャーするというネタバレすれすれの展開があった。
ちなみに殺到と称した通り、番組内には10件以上(正確な数値は不明)もの同じ質問が寄せられ、その量に渡辺徹と加藤紀子の二人は驚いていた。
今なら、ネットで簡単に解決できると思われる、時代を感じさせるエピソードである。
◆超魔界村のエンディングを見せてください。
同じく『ファミコン相談室』。放送時期不明。
スーパーファミコンの『超魔界村』のエンディングを見せて!という、これまたメチャクチャな質問が寄せられた。そして、一部だけながら番組はそのエンディングを見せてしまった。
今なら、明らかに苦情が殺到しかねないエピソードである…。ただ、『超魔界村』自体が難易度の高いゲームである故、止む無い一面があったとも言える…。
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